考える場所
盛秋の京都。
インスタ映えが価値である昨今、スマホ片手にきている人間は皆、同じ目的のためにきているように見えてしまう。
自分も、せっかく京都を訪れるなら桜か新緑か紅葉と決めている点、見栄えする時期に行こうとしていから同じではあるが。
紅葉に限らず、自分が訪れる場所の条件はある程度決まっている。
ゆっくり落ち着ける空間であること。
他人とじっくり話をしたいからである。
そうか
「考える時間」じゃなくて、
「考える場所」がなかったんだ。
その場所に、何もない事で初めて、「考える場所」たりうると考える。
何もないと、話題の対象は自然と自分たちのことに向いてくる。
遊園地やスポーツ観戦、注意を引くものがあってしまうと話題はそちらに靡く。
何か思い出したくない事があるなら、話は別だが。
そんな場所は退屈、と言われると困るものの、何を感じ、何を考えているのか、
自分のことを話し、相手のそれにじっくりと耳を傾ける友人が周りには多い。
そして京都には、自然と思考の対象が己のうちに向かう場所がある。