文章を書く上で

即ち小説の文章は、表現された文章よりもその文章をあやつる作者の意慾により以上重大な秘密がある。作家の意欲は表面の文章に働く前に、その取捨選択に働くことがさらに重大なのだ。 

「意慾的創作文章の形式と方法」坂口安吾

 

小説の本質がその華麗な文体にあるとする考えに対し、安吾は作家の表現以前に、なぜその事柄を表現しようとしたのかという、取捨選択の意志が重要であると説く。

愚劣な文章ほど、浅はかな理由で取捨選択されたことに何枚もの項を費やすものだという。

 

前述のように、まず意欲が働いてのち、つづいて表現が問題となる。

 

なぜその事柄を表現しようとしたのか(裏を返せば、何を言い当てたくてその事柄を表現したのか)があり、次点として表現が問題になってくるという。

 

小説の主体を明快適切ならしめるためには、時として各個の文章は晦渋化を必要とされることもありうるのだ。そして描写に故意の歪みを要するところに小説の文章の特殊性もあるのである。 .....芸術は、描かれたものの他に別の実体があってはならない。芸術は創造だから。

 

芸術の一つである小説は、他に別の主体があってはならず、唯一無二のアイデンティティを有してなけらばならない。その前提に立つと、時として小説の文体は難解なものであることが必要とされてくるのである。

 

最後に文章を創作する上でのポイントをまとめる。

  1. 何を言い当てたいのか?
  2. 文全体が唯一無二の総体となっているか?
  3. 一文一文が、上記二つを満たす役割を担っているか?

 

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